ぽてとの日記

すべてがフィクションに。

メルヘンという病

わたしはいつからか、頭の中にお花畑を持っているので、軽率に恋をする。

 

何度となく失敗に終わった恋愛を経験しても、わたしは懲りずにそれを肥料にお花畑を耕してせっせと次の恋に邁進してきた。

 

そもそも、わたしは運命とか一目惚れとか、ズッ友とかそういった胡散臭い類のものを全部引っくるめて信じきっている。

 

だって、結婚相手との初対面が、友達から恋人になりました、なんていう話じゃ、せっかくのふたりの結婚式のなれそめムービーも盛り上がりに欠けると思うのだ。絶対、本屋で同じ本に手が伸びてその瞬間電流が走らないと無理。

 

新婚だろうが熟年だろうが、彼のスーツ姿をみていつまでもきゅん死していたいし、早食いの彼が最後の一口をわたしに気を遣って食べずに待っていてくれて同時に食べ終わってくれるのを、向こうは気づいてないと思ってるだろうけどこっちは知ってるけど言わないぜと思いながら一生にやにやしていたい。

 

一緒に映画を観て感動のあまり号泣しながら2人でティッシュを一箱、消費する日があってもいいし、記念日に2人で騒ぎながら鍋パーティをして酔っ払う夜なんて、ちょっと待って、えもすぎやしませんか。と思わず呟くに決まっている。

 

 

頭の中にお花畑を持ってすぐの頃、耐性のなかったわたしは、異様なスピードでお花が枯渇し、彼氏にキレていた。してもらったことを数え上げ、いくら愛情を受け取っても不安に駆られていた。たったひとつでも疑念が見つかれば彼氏を責め、ほらやっぱりと勝手に絶望していつも恋は終わった。

 

そういう恋愛を繰り返して自分で自分に疲れたわたしは、色々と一周まわって素直になることにした。相手が良くなかった、と決めつけて相手を変えるのをやめて、頭の中のお花畑を育てることにした。

 

そしてそのとき思った。別にひとりでもいいじゃん。誰かと一緒にいないと寂しくて、相手に認められて安心する自分ってひょっとするとヤバいんじゃないか。そう思ってみると、初めからわたしはラーメン屋も映画館も旅行も別にひとりで平気だった。

 

気が合うわけもない他人と無理して一緒にいて、必死になってなにが良かったんだろう。

なーんだ、恋愛ってわたしに別に必要なかったんだ。

 

そう思ったちょっと後、軽率に頭の中にまた、お花畑が咲いた。やっぱりひとは懲りずに誰かと一緒にいる。相手がいなくてもひとりでも生きていけるのに、誰かを好きになって、軽率に幸せを噛みしめる。

 

ひとりでも平気なのに、出会う前に生きてきたわたしの20年余りを、不思議なほどあやふやにして、隣にいるこの誰かは、きっとわたしと同じみたいに頭の中にお花畑を耕してきたんだろう。