ぽてとの日記

すべてがフィクションに。

いつかのメモ TABIPPO

今日は同窓会だけど、行けないので懐かしいメモを。

 

 

 

 

【昨日書いたけど投稿しなかったメモ。でもみんなメッセでアツいこと書いてるから載せることにしたメモ。】

土曜のmtgの後ね、大分タビール行ってきたの!
飛び入り参加で当日の昼いきなり行くことになってバスで3時間かけてトコトコ大分まで行ってきました。

 

キャンセルがでて参加者が足りてなかったから、どうしようって思って自分がいくことにしたんだけど、大分タビールの参加者は結局ゼロだったの。

 

何時間もかけて来たのにがっかり!って思ったし、来るんじゃなかった〜って思いました。でもわたしは飛び入り参加で運営も全く把握してなかったから、能天気に席に着いて疲れたなあって、そんくらいの気持ちだったの。

 

そのとき、お店のひとに申し訳ありませんって謝るあゆちゃんや、情けないって悔しそうなさくすけとかずっと黙って下向いてるたっきーをみて初めてこれがどんなに悲しくて残念なことなのか分かってなんだかとっても悲しくなった。

 

おっきいテーブルにお皿がたくさん並んでて、でも椅子はたくさんあるのにわたしとあゆちゃんとさくすけとたっきーの4人しかいませんでした。

 

 

わたしもDREAMの合同タビールの運営を行って、参加者がくるまでどれだけドキドキするか準備にどれだけ苦労するか痛いくらい分かるからとっても悲しくなった。あゆちゃんたちが一生懸命準備してくれた1日が無駄になったり延期になったりすることが、わたしでさえこんなに寂しいんだからあゆちゃんたちはもっと寂しいんだろうなって思った。

 

 

今回の大分タビールで学んだことはイベントやコンテストを開催する以上成功させる責任があるってこととどんなに小さな仕事でも誰かが陰で一生懸命努力してくれて、準備してくれてるってこと。

 

 

わたしは自分ががんばったことを並べて満足してたけど、まわりのひとの努力はきっとわたしが知らないところでその何倍もあるんだろうなって初めて思った。ともちゃんがまえに黒子集団になろうって言ってたの思い出して、もう一回自分の行動を振り返ってみたら、プロの黒子さんへの遠さと厳しさを思い知りました。笑

 

 

いつもDREAMのみんなはわたしのこと助けてくれて、一緒にやろうって待っててくれるけど、それに甘えてたら一番大切な参加者のみんなに向き合う時間無駄にしてるなって思った。

 

もうすぐ3次進出者発表だね。わたしは最後にもう一回ちゃんと審査が正しかったのか振り返ってみようって思いました。わたしができることをいま一生懸命やって、みんなの役に少しでも立てるように準備しようって思いました。

 

 

わたしが知らない部分のみんなの頑張りにもっと気づけるようになりたいな。TABIPPOが終わるまでにみんなにもっと会いたいな。みんなの笑顔がいっぱいみたいし、みんなでもっとたくさん濃い話がしたいな。みんないつもありがとう。おつかれさま。

誰かの世界を変えるもの

オバマヒトラーキング牧師も、みんな世界を変えるために語った。

 

大学の専攻を聞かれて、文学部です。と答えるとだいたい次にくる質問は決まっている。

 

「なんの役に立つの?」

 

そういうひとは大抵、大学の専攻分野が就職に直結するような、そういう目に見える分かりやすいものが好きだ。医学部といえば医者になるし、薬学部といえば薬剤師になると決まっている。

 

好きだから勉強している、じゃ納得できないのだ。それは役に立たないことだから。

 

そういう人たちは知らない。世界を変えるために語るひとだけが、ひとを変え、世界を変える。そうでないひとは、変えられる。知らない間に。ただ、それだけだ。

 

知らずしらずのうちに、悪意ある誰かに勝手に自分を書き換えられないように本を読むようになった。世界を変える言葉に耳を傾けられるように言葉を聴くようになった。

 

そして、わたしもどうせなら、世界を変えるために語って、ひとを変えるために文章を書きたい。

 

まだまだだ、もっと、もっと。

 

もっと世界を変えるような、言葉が欲しい。

もっと自分が崩れるような、文章が欲しい。

 

まだ足りない、いくら読んでも。

読み足りない。

 

 

三日坊主に朝が来る

昔から三日坊主が得意だった。

 

この日記もはやくも三日坊主の気配がするので、いっそ開き直って三日坊主について書く。

これでわたしは脱三日坊主。

 

わたしに三日坊主の気配が漂い出したのは、いつからだろう。

 

わからないが、世の男も「美人は三日で飽きる」と言い放つほどだから、三日というのは大きな壁に違いない。美人の美貌を持ってしても飽き性の男は変わらないのだ。

 

きっと、そういう男は、永遠に遊んでいるか、妙に平凡な猫かぶり清楚女の手のひらに転がされて知らない間に家庭に入っているかのどちらかだ。

 

そういえば昨日、バイト先にきた常連客が熱弁していた。

 

「結婚して1日目の朝食は大事なんだ。そこでまずかったり、嫌いなものが出るともう、男は家に居たくなくなるね。俺の友達なんか初日にフルーチェがでてきたんだせ。泣けるだろ。」

 

忙しい朝に彼のためにフルーチェをぐるぐる混ぜる新妻に感謝の気持ちはないのか、と思わなくもないがわかる気がする。

 

何事も、1日目が肝心。三日目なんてみんな尻すぼみなのだ。

 

理想は高く、行動は粛々と。

 

今日も良く生きた。それだけで花丸じゃないかと自分に言い聞かせる。

休学をする前のお話

いま思えば夢をみていたんだろう。

 

一年間の浪人時代を経て、大学に入学したわたしは大学と名のつく全てが嫌いだった。

 

高校生みたいな歳下の同級生が幼く見えて仕方がなかったし、好きだったはずの小説の授業は教授の自己満足を押し付けられているようでうんざりしていた。

 

浪人生の頃、殺風景な部屋でやることといえば、ひたすら問題を解いて丸付けをして、自分の点数をはじき出して、その繰り返しだった。テストの点数は自分の価値だった。模試の順位は、大学の合否判定は自分の人生への評価だった。

 

苦行としか思えなかったそれらは全ていつか来るはずの薔薇色の大学生活のためにあるらしかった。

 

始まった大学生活はまるで自分の理想とはかけ離れていた。なりたかった自分と現実の自分。折り合いをつけて上手くやれるほど、きっと大人じゃなかった。

 

楽しくない大学から逃げ場を探すように学生団体にのめり込んだ。空気みたいに存在を消して過ごす大学生のわたしと、明るく元気でよく笑う外のわたしはまるで全然違う人間みたいだった。

 

学生団体のイベント準備が佳境を迎えたころ、二重人格みたいなわたしの心はバランスがまるで取れていなくて狂っていた。

 

相反するふたりの自分は逆方向に走り出してどんどん離れていった。うつが常に目の前にぶら下がっているみたいに崖の端っこで今にも落ちそうなところで、立っていた。

 

 

みんなそうだったかもしれない、きっと。

 

 

あの頃みんな、自分の中の心が狂いだして、だれにも見えないなにかと戦っていた。

 

 

ある日診察室でわたしの成績の悪い血液検査の結果を眺めながら、顔馴染みの医師が言った。

 

「楽しいことはある?辛いことはある?」

 

「大学が苦しい」

わたしがそう言うよりはやく、診察室まで強引についてきた母親がまくし立てた。

 

「この子、大学を辞めたいって言うんです。サークルなんかは楽しそうにしてるのに。家でも食欲はあるし、寝てるし、平気そうなのに。一時のわがままで大学なんか辞められても困るんです」

 

医師は母親をじっとみて、それからわたしに言った。

「いいかい、辛いことからはちゃんと逃げるんだよ。大学も人間関係も苦しんでやるものじゃない。身体の調子と心の調子はしっかり繋がっていて、どっちの不調も君のSOSなんだからね」

 

母親は黙り込み眉間にしわを寄せてなにかをじっと考えていた。

その夜、寝付けないままのわたしも、暗闇の中でそっと考えていた。

 

(続)

メルヘンという病

わたしはいつからか、頭の中にお花畑を持っているので、軽率に恋をする。

 

何度となく失敗に終わった恋愛を経験しても、わたしは懲りずにそれを肥料にお花畑を耕してせっせと次の恋に邁進してきた。

 

そもそも、わたしは運命とか一目惚れとか、ズッ友とかそういった胡散臭い類のものを全部引っくるめて信じきっている。

 

だって、結婚相手との初対面が、友達から恋人になりました、なんていう話じゃ、せっかくのふたりの結婚式のなれそめムービーも盛り上がりに欠けると思うのだ。絶対、本屋で同じ本に手が伸びてその瞬間電流が走らないと無理。

 

新婚だろうが熟年だろうが、彼のスーツ姿をみていつまでもきゅん死していたいし、早食いの彼が最後の一口をわたしに気を遣って食べずに待っていてくれて同時に食べ終わってくれるのを、向こうは気づいてないと思ってるだろうけどこっちは知ってるけど言わないぜと思いながら一生にやにやしていたい。

 

一緒に映画を観て感動のあまり号泣しながら2人でティッシュを一箱、消費する日があってもいいし、記念日に2人で騒ぎながら鍋パーティをして酔っ払う夜なんて、ちょっと待って、えもすぎやしませんか。と思わず呟くに決まっている。

 

 

頭の中にお花畑を持ってすぐの頃、耐性のなかったわたしは、異様なスピードでお花が枯渇し、彼氏にキレていた。してもらったことを数え上げ、いくら愛情を受け取っても不安に駆られていた。たったひとつでも疑念が見つかれば彼氏を責め、ほらやっぱりと勝手に絶望していつも恋は終わった。

 

そういう恋愛を繰り返して自分で自分に疲れたわたしは、色々と一周まわって素直になることにした。相手が良くなかった、と決めつけて相手を変えるのをやめて、頭の中のお花畑を育てることにした。

 

そしてそのとき思った。別にひとりでもいいじゃん。誰かと一緒にいないと寂しくて、相手に認められて安心する自分ってひょっとするとヤバいんじゃないか。そう思ってみると、初めからわたしはラーメン屋も映画館も旅行も別にひとりで平気だった。

 

気が合うわけもない他人と無理して一緒にいて、必死になってなにが良かったんだろう。

なーんだ、恋愛ってわたしに別に必要なかったんだ。

 

そう思ったちょっと後、軽率に頭の中にまた、お花畑が咲いた。やっぱりひとは懲りずに誰かと一緒にいる。相手がいなくてもひとりでも生きていけるのに、誰かを好きになって、軽率に幸せを噛みしめる。

 

ひとりでも平気なのに、出会う前に生きてきたわたしの20年余りを、不思議なほどあやふやにして、隣にいるこの誰かは、きっとわたしと同じみたいに頭の中にお花畑を耕してきたんだろう。

家族のこと

家族の呪縛から離れられない。

オトナになればなるほど思う。

 

小さい頃から親が嫌いだった。

感情的でヒステリックに叫ぶ母親のことも、見栄っ張りで自分の金と地位が好きな学歴主義の父親のこともずっと冷めた目でみてきた。

 

姉は昔から母親と折り合いが悪くて、いつも怒鳴り合いの喧嘩をしていた。お互いが泣き喚いて責め合うのはいつものことだったし、わたしの高校受験の前日はリビングで皿が飛んでいた。

 

わたしが夢中になるものは、勉強の邪魔になるからと、なんでも取り上げられた。パソコンもテレビも禁止になって、大量の本をものすごい勢いで読むようになったわたしに母は言った。

「本読むの禁止ね」

お小遣いもなく、図書カードも捨てられたわたしは家に帰りたい気もしなくて図書館にこもって本をひたすら読んでいた。もう、借りることも出来ない本。そう思うと愛しくなるほど、本が好きだった。

 

そんな実家で10年以上暮らしていたから、家族の温かさは、自分のなかのどこをいくら探しても見当たらない。

 

空気を読んで自分の安全な立ち位置をはかることとそれを相手に悟られないように空気を読めないふりをして能天気な顔をするのが得意になった。

 

大学生になって、実家を離れて一人暮らしを始めた頃、大学の教授が言った。

 

「親に感謝しなさい、実家には帰りなさい、代わりのない家族なんだから」

 

ぼんやりとした言葉にならない、違和感を抱えたまま、家族には感謝をするものなんだと思った。みんな家族が好きなことが当たり前なんだと思った。

 

家族が嫌い。

それは口に出してはならない、呪いみたいだった。

 

あなたが家族が好きなら、そんな家族に生まれた幸せを大事にしてくれ。それでいいから、それだけでいいから、相手の事情を知らないまま他人にそれを押し付けないでくれ。

 

家族がどんなに好きになれなくても、振りほどいてもついてきて離れない。

 

それでも少しずつ、オトナになった。

小さかったあの頃よりずっと、わたしは誰にも邪魔されずにワタシだ。

 

久しぶりにできた彼氏は、いつも嬉しそうに自然に家族の話をたくさんするひとだった。このひとはきっと、幸せな家族を知っていて自分も新しい幸せな家族を始められるひとなんだ。そう思うと不思議とイヤな気持ちはしなくて、安心する気がした。自分のまだ知らない新しい家族が何処かにある気がした。

 

その感覚は、どこかで昔感じた感覚にとても近くて、それは昔何時間でもいた、図書館の愛おしい本みたいだった。